つかぽんのひとりごと

つかぽんがつらつらと綴る場所です。

突発で広島旅行に行ったお話(2015.7/19-20)

せっかくの三連休ということでどこか行きたいな~と思った結果、広島へ突発旅行をしてきましたのでそのことをつらつらと書きます。
画像はクリックで拡大できます。

7/19
7:30 起床。本当は4:50に起きて始発に乗るはずだったのにいきなりの大誤算、急いで支度し出発。新幹線でスイーっと。
9:20 広島着 行動開始



10:00 広島城

 



現在の広島城天守閣は、原爆投下により倒壊した後復元されたものです。それでもかなり年月を感じさせるような佇まいでした。
内部は2階~4階が展示物関連、5階が展望台となっています。
展望台からは広島市街をまるまる一望できました。
広島城のそばにある護国神社でお参りし次の目的地へ。

11:10 原爆ドーム

 

お次はここ、原爆ドーム
小学校の修学旅行以来、14年ぶりに来ました。当時となんら変わらず広島を見守り続けています。
今年は戦後70年の節目の年、いろいろ考えさせられますね…
休みということもあり、様々な国籍であろう人もそこそこいました。戦争に対する姿勢は国籍関係なく共有したいものです。

13:00 大和ミュージアム

 

7か月ぶり2度目の大和ミュージアム
やっぱり1/10スケールの大和はいつ見ても迫力満点ですわ。
展示物については大和以外にも戦争の時系列と呉の変遷、当時の工具や艦艇で使用されていたものなど様々な展示があり、じっくり見て回れば1時間は余裕で経つくらい中身が濃いです。

 
ミュージアム裏の池では赤城と伊勢型戦艦(これは伊勢・日向のどちらでしょうか?)のラジコンが泳いでいました。
写真には撮ってませんが、伊号潜水艦と思われるのも潜航・浮上を繰り返していて出来がいいなと感心してましたw

ここでお腹がすいたので一旦ミュージアム裏にあるレストラン「BEACON」に寄って、護衛艦さみだれ」カレーを食す。



カレーの辛さは市販の中辛よりちょっと辛めなくらい。柔らかくてもちもちなナンにつけて食べれば辛い物が苦手な方でもおいしく食せるかと。
あとカレーに入っていた牛肉が柔らかくてとっても美味しかった。
これで1280円なり。ちょっと高いけどまぁ旅行だし・・・ね?

そのあとはミュージアム裏をとぼとぼうろついたり。




14:30 てつのくじら館

大和ミュージアムに来るとひときわ目を引く潜水艦、そう、てつのくじら館!
これは退役したゆうしお型潜水艦「あきしお」の実物であり、実際に中に入ることもできます。
隣接した建物では海上自衛隊の歴史や掃海(機雷除去)についての展示があります。
戦争は終わっても、機雷との戦いはいまだなお続いている現実を知ることができました。

以下はあきしおの内部
士官室や艦長室、制御部等を見ることができます。
ただ思った以上に潜水艦内部は狭い…
160cm位の小柄な人がちょうどいいかなというくらいで、自分は一回頭をぶつけました。

 

 




この後、元呉鎮守府である地方総監庁舎へ向かったのですが、見学開始時間に間に合わず断念… Shit!
見学は日曜日の10:00~と15:00~、事前に申し込みが必要なので見学したい方は要注意!

あとは呉や広島市街の周辺をつらつら歩き、晩御飯にお好み焼きを食して1日目の活動は終了。
ホテルで何してたかって? そりゃぁ戦果稼ぎ(※ここ重要ですよ!
ちなみに移動中にもタブレットでひたすら艦これしてました

----おやすみなさ~い----
7/20

5:10 予定通り起床 朝飯を頬張りつつ電車・フェリーの時間を下調べ
路電の始発にて広島駅を出発、広島港(宇品)へ向かいフェリーで江田島へ渡る

7:30 江田島の中町港に到着。ここから江田島を歩いて移動!
   中町港から少し歩いていくと、島の少し突き出た部分には…

 

7:55 そう、利根公園があるんです。

  
慰霊碑に向かって一礼をして、公園裏に立っている利根資料館に入ります。
資料館は休日・祝日は基本的に開いていますが、訪問の際には隣接する「能美海上ロッジ」のスタッフに一言声をかけると良いでしょう。

  

実際に利根で使われていた浴槽やその他利根にゆかりのある物品・資料が所狭しと置かれていました。
雑記帳には艦これがきっかけで来たであろう人の書き込みもあり、少なからず艦これの影響があったなぁと感じさせられたり。

利根資料館を後にし、海沿いに歩くいていくと何やら石の標識が。
8:40


今度は大淀の慰霊碑です。この標識から400m程細道を歩くと慰霊碑があります。



隣には戦没者名簿と大淀の模型が飾られていました。
また、朝早くにもかかわらず慰霊碑周辺とそこに続く道を地元の高齢者の方々が草刈りしていました。
とある方は
「俺たちはもう後が長くないからどうやってこれを残していくか心配だ。だけど近年、若い人がたくさん訪れるようになってくれてとても嬉しい。」
と仰っていました。ここで大淀が撃沈され、ともに多数の命が果てた。その事実を伝えるためにも慰霊碑を残すことは重要なことなのでしょう。

大淀の慰霊碑を後にし、さらに歩くこと5km程。

9:50 第1術科学校 到着


今回の旅のメインといっても過言ではない、第1術科学校の見学です。
ガイドさんが付いてくれ、1時間半ほどかけてじっくり説明してくださいました。
以下は見学時に撮った写真を。



術科学校の目の前にそびえる小高い山(写真中央付近)
は「古鷹山」です。そう、重巡洋艦 古鷹の名前の由来となった山です。
術科学校から古鷹山の頂上まで駆け上がる訓練があるとか。この日は休みなのでやっていませんでした。。





お次は大講堂。大正6年(1917年)に建てられたもの。
ここで候補生の入校式・卒業式に使われているようです。中は白基調で声が良く響く構造(壁に和紙が貼ってあるとか)でした。2000人の収容能力を持つみたい。



そして幹部候補生学校庁舎。
これは艦これアニメの艦娘の宿舎?のモデルとなっています。
横に144mの幅で建っているので近くによるとかなり大きい建物だということを痛感させられます。




これは教育参考館で、いわゆる「九軍神」についてやその他日本の海軍の歴史、歴代海軍大将や特に有名な軍人に関わる展示物がありました。
この教育参考館のみ、館内撮影禁止となっており写真はありません。






教育参考館の脇には現存する唯一の特殊潜航艇、いわゆる「甲標的」があります。
写真で見る以上に大きく、長い!すべてを写真に収めるのも一苦労。




 

あとは雪風の錨や一式徹甲弾があったり。ほかにもアームストロング式砲も近くに屋外展示されていました。

術科学校の見学を終え、昼食を取った後は近くにあるふるさと交流館(観光案内所)へ。
13:00



実はこの建物の2階にも展示スペースがあります。






上段左から順に、陸奥引揚げ作業の写真(1971年と思われる)、日向新聞の複製、大和の模型、「五省」の書。
他にも江田島に関わる資料やその他戦時中の貴重な物品等の展示がありました。

今回の江田島ルートは以下のリンクで見ることができます。(Googleマップへ)
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zqmDGXk4K014.kWXT4UgMIfTA&usp=sharing

江田島内の移動は徒歩オンリーでしたので、10km近くは歩いたでしょうか。
時間に余裕のない方はバスもありますし、レンタサイクルもあるのでそちらを利用した方が良いでしょう。

この後フェリーで広島市街に戻って呉に行こうと思った矢先、ものすごい豪雨に襲われ…
二日間で30km弱歩いた疲れもあり、そのまま新幹線で帰宅しました。

江田島ではまだ榛名&出雲の慰霊碑があったり、伊勢・日向・天城・青葉も江田島周辺で着底、沈没しています。
あとは古鷹山の頂上まで登っておきたかったなぁと。

なので、年末に帰省するついでに今回行けなかった場所へ行こうと思います。
その時はまたブロマガでリベンジ編として書くでしょう。
そんなこんなで、突発でしたが中身の濃い旅行ができて満足です(*´ω`)

※おまけ



Danke♪Danke♪
江田島に実在するカメラ屋さん。術科学校の近くにあります。
ドイツ艦実装を予言していた…??